世界遺産探訪「石見銀山」
2018.08.08
熊谷の母さんコバユッキーです。
島根県探訪、もう一つ。
世界遺産「岩見銀山」に行ってきました。
江戸時代の始め、
日本でとれた銀は、
海を渡ってシルクロードを通じて、
世界各国に運ばれ、
当時世界で流通していた銀の3分の1が日本産。
そのほとんどがここ岩見銀山でとれた、
っていったいどんなところ?
静かな谷あいの集落の終点から、
ワンコインガイドさんと共に、
鉱山跡「間歩(マブ)」を歩きました。
こちらは民家の石垣。
こんな石垣が森の中にたくさんあります。
そして、お寺跡地がとても多い。
仏教の各宗派はもちろんキリスト教の教会や墓地もあるのだそう。
一番盛んだった時代の岩見銀山エリアの人口は、
20万人!
えっ!?20万人???
現在の島根県の人口が70万人。
この狭いエリアにかなりの人達がひしめき合って暮らしていた、ということになります。
鉱山の採掘は、狭い穴の中で道具はノミと金づちだけ。
サザエの殻に油をためた小さな灯りだけが頼り。
工夫さんたちはみな短命で、
30歳のお誕生日を迎えた人は盛大にお祝いされたそうです。
そんな工夫さんの弔いの場、祈りの場が多くなるのも納得できます。
100年の間に、
たくさんあった民家跡地、工場跡地はすっかり竹林や森に覆われ、
栄枯の影さえも見落とすほどの静寂を保っていました。
こちらは精錬所跡地。
明治の初めに、多額の投資をして建設したもののわずか2年余りで閉鎖。
ものすごい暑い日だったので、
徒歩で2kmほどの道のりも汗だく。
銀山川ではこんなかわいい沢がに会えました。
間歩入り口があちこちにあります。
一番大きな坑道「龍源寺間歩」
中はひんやり冷蔵庫。
14℃。
サイコーに気持ちいい。
坑道のひんやり気持ちよさは格別でした。
が、すべて人力の時代に苦労して穴を掘り進めたこと、
かなりの土木の技術があったこと、
たくさんの人の生活の場があったこと、
生活のためにたくさんの物資が運搬されたこと、
などなど、ガイドさんの話を通じ、
そこに生きた人たちの「生活」を垣間見ることができました。