こんにちわ!小林由紀子です
2018.01.01
こんにちわ。
のうカフェオーナーの小林由紀子です!
小林由紀子ってどんな人?って方のために
こちらにプロフィールを作成しました。
母めし食堂のうカフェについてはこちら
プロフィール
【 理学療法士 × 野菜ソムリエ × 農家の孫 】
1972年生まれ。群馬県安中市出身。
夫と娘、柴犬おかき、鶏ファミリーと三人+αな家族です。
私は、3人兄弟の長女で、弟が二人います。
私の両親は、それぞれ大きな養蚕農家の生まれです。
養蚕とは、絹糸を産みだすお蚕さんを育てて
繭玉にして出荷する仕事。
それはそれは人手がかかり、
家族親戚総出でのお手伝いでした。
お蚕あげ(飼育所から蚕室に移動して繭をつくる時期)は、
たとえ子供でも貴重なマンパワーで、
お蚕を拾ったり、
一輪車を押して運んだり、
二階で受け取ったり、
年齢に応じてのお手伝いがあり、
私もよく手伝いをしました。
弟が生まれるときなどは、
おばあちゃんちに預けられていたので、
小さいころから、
おばあちゃんちの開放的な縁側のある暮らし、
家族親戚で囲むにぎやかな食卓を体験して育ちました。
薪を燃やして竈でお湯を沸かし、
ぐらぐら茹でたおうどんや
一気に蒸しあがるおこわなど、
大勢の食事を支える裏方を見て体験したことが、
私の食の原点かなと思います。
高校3年生の時に、母がクモ膜下出血で他界しました。
母は、まじめで几帳面な人でした。
農家の娘に学なんて必要ない!
と言われ大学には進めなかったそうで、
そんな自分でかなえられなかった夢や希望を
子どもたちに託しただろう、
とてつもなく教育熱心でした。
高校入学まで、私に人生の選択肢はありませんでした。
きっちりしかれたレールに、
そして几帳面な性格の母とは正反対の私は、
常に否定的な言葉を浴びせられ、
本当に嫌気がさして、
それはひどい反抗期を迎え、
母との大きな確執を生みました。
その戦闘真っ最中のままの別れ。
戦いや怒りのエネルギーが、
宙ぶらりんとなった私。
自分自身を模索しながら、
母の入院で知った理学療法士を目指しました。
学生時代はとてもまじめとは程遠い学生でしたが、
理学療法士の仕事はとてもやりがいや面白さを感じ、
大学病院、リハビリ専門病院、介護老人保健施設を経験し、
主に脳卒中で半身麻痺となった方の
家庭復帰・社会復帰を20数年支えてきました。
悲しみや後悔に明け暮れる方に接するにつれ、
病気になる前に、
もっと何かできることがあるのではないか、
病気になる前の方ともっと関わりたいと思うようになりました。
一方で、私は、アレルギーっ子で、
小さい頃は卵・牛乳アレルギーと言われていました。
あまり、湿疹で悩まされた記憶がないのは、
母が気を付けてくれたおかげだと思います。
母がこの世を去って、
大人になってから、
とにかくアレルギー症状がどんどん強くなり、
いろいろ悩まされるようになりました。
花粉症、
大腸炎、
脱毛症、
慢性副鼻腔炎、
大人喘息、などなど
自然のなりゆきで、「食」と向き合うようになりました。
そもそも、
小学生のうちから自然食に興味があり、
玄米胚芽パンや自家製青汁など、
兄弟で唯一好んで食べていました。
身体が欲していたんでしょうね。
アレルギーの子の嗜好を見聞きするたびに、
無意識に身体が受け付けるものを選んでいるなと思います。
この点に関しては母に感謝です。
子どもが生まれたことも、
食に気を付ける大きな動機となりました。
子育てしながら野菜ソムリエプロを取得。
楽しく美味しく野菜を学びました。
イベント企画や独立して活動されている方と
たくさん知り合い刺激をいただきました。
子どもと共存しながら仕事がしたい、
起業するなら、
食に関するなにか・・・
と思うようになりました。
子どもと仕事。
両方と共存していく中で、
サラリーマンとしてキャリアアップしていく
難しさも感じました。
そんななか、友人が連れて行ってくれた
母めし食堂「やまもりカフェ」。
外食するとお腹を壊すようになった私の身体に
すっと染みわたり、
私のやりたい食の形がここにあると確信しました。
やまもりカフェでの修行、
ビジネススクール入学を経て、
一念発起して
2017年母めし食堂のうカフェをオープンしました。
「母めし」は、
そんなアレルギー体質の私の身体に、やさしく浸透し、
私の生い立ちも包み込んでくれるような情緒的な面もあり、
私の表現したい食の形にぴったりでした。
母めしの提唱者、大久保さんとの出会いに感謝です。
いろいろな人に支えられて今があります。
これからも、
食をとおして、
心と身体の健康を応援し、
地域の農業を応援していくことを使命とし、
人と人とのつながりの場を提案していきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
改訂:2023年8月