満月の光を浴びながら
2018.09.24
熊谷の母さんコバユッキーです。
そして、昨日はお彼岸のお中日。
一年の中で節目の年ですね。
今日は満月。
皆さんはお月さまを見てなにかお願い事をしましたか?
やさしいお月さまの光を浴びて、ゆったりとパワーチャージしてみてくださいね。
私は、昨日半年間の学びを終えました。
何もわからぬまま、
理想だけ掲げて、
起業・・・。
自分には、信念も覚悟も全然足りませんでした。
きれいごとでは済まない、
魂の叫びのような心の声と向き合いました。
小さいころの私は、
無意識のうちに両親の望む「いい子」を演じ、それが習慣となっていました。
褒められたい一心で、親の言うことが絶対でした。
あまり甘えた覚えがなく、
そして褒められた覚えもありません。
母親は、かなり教育熱心で、厳しい人でした。
それのストレス?か、学校で毒を吐いているようなタチの悪い部分がありました。
「いじめ」の主導もしていました。
「○○ちゃん、気に入らないから明日からムシしようよ」など。
母との関係は、年齢が上がるにつれて悪化しました。
そして中学では、小学校の反動か、
学年全体の女子・男子から無視をされるという
長い「いじめ」に合いました。
当時、唯一の友達を
母親は「あの子は嫌いだから、付き合うのはどうか・・・」
と遠ざけようとしました。
友達のお母さんが夜の商売をしていたからです。
親の望んだとおり、県内トップクラスの高校への進学を決めたと同時に、
私は母親の言うことを聞くことをやめ、勉強することもやめてしまいました。
なんにもやりたいことがなかったのです。
ただ、友人たちに会いに学校に行って、
授業はほとんど寝ていました。
起きたら先生が変わっていた、のもしょっちゅう。
勉強さえすれば機嫌のよかった母親との関係はどんどんと劣悪になり、
最終的には「オマエニコロサレル」と、よく言っていました。
それが、
高校3年生の時、母はくも膜下出血を発症して突然の他界。
反発真っただ中だった私は、
サウンドバックを失い、
人生の軸も失ってしまいました。
白があるか黒と言える。
壁があるからぶつかれる。
反発心が、、、宙に浮かんだ虚像のようになりました。
母に否定され続けてきた私は、
自分のことが好きになれず、
自己肯定感の低い人間でした。
自分の納得した人生を送ろう!と決め、脱サラしたときに、
そんな自分に改めて気づきました。
周囲に貢献しようと思っても、
他人を信じられないし、
愛せない。
それは、自分が好きでないから。
自己肯定できないから。
なんとかして自分を好きになりたい!と思っても、
心から好きに思えなかったし、
自分を信じられなかった。
なぜなら、
自分を認めるとは、
自分の中に生きている母の存在を認めることだから。
いろいろな常識や節度を教えてくれたのは母だから。
私の骨と肉は、やはり母が築いてくれたもの、だから。
これを認められなかった。
そしてもう一つ。
母が他界してから、
私の身体は少しずつ不調を訴え始めました。
20代前半で、
大腸炎で下痢と便秘の繰り返し。
大腸ポリープで長らく血便との付き合い。
アレルギー症状の悪化。
一年中の鼻炎、のどや咳などの症状が治まることがない
30代では、
円形脱毛症発症。
1つや2つで収まらず、全身に多発的に発症し、
カツラをつけて一年生活していました。
40代では、
鼻腔炎に大人喘息
心臓の動機に耳鳴り、手のしびれ
すごい(笑)
ひどい(笑)
この20数年来の、脈々と続く身体の不調のために、
食に関しての関心が強くなった。
そして、
心のもやもやと
身体の不調も
別々に存在しているわけでなく
リンクしているんだな、と気づいたのです。
そう、分岐点は母の死。
どうやら私は、人一倍感受性が高く、
身体もアレルギーやストレスに
いちいち反応する。
いろいろな刺激に対して
身体も感情もものすごく影響を受けやすい。
ビジネスの学びをしながら、
ひたすらぶれない自分を探して探して探して、
向き合ったとき、
幼いころからの深い悩みと身体がつながった時に、
すごく自分のカオスが一気に解決した気持ちになったのです。
そう思ったらすべてすべてすっきりし、
感受性が強い自分をむしろ愛おしく思えるように。
そして、なんであんなに母を恨んでいたんだろうって。
こんな時代だからこそ、
自分と共感できる人がいるんじゃないかしら。
私は必ず大きくなります。
従業員さんの生活が支えられるくらい。
自分のことを認めて、
自分のことを愛して、
自分のことを信じて、
頑張っていけます。
そうしないと、
他人を認め、
他人を愛し、
他人を信じることができないのです。
やりますよ。
ステキなコミュニティ作り。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。