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なぜ私が古民家カフェを始めたか?

2018.04.16

熊谷の母さんコバユッキーです。

友人たちからふと投げかけられる疑問・・・

 

なんで古民家カフェ始めたん?

(話が長くなるし、私のあつい想いを熱量をもってて伝えるのにうまい言葉が見つからなくて、なんとなくのらりくらりと軽い返事をしてきました。今日は、一つその思いをつづりましょう!)

 
それは私が農家の孫だから(笑)
 
両親とも大きな農家の生まれで、どちらも養蚕(ヨウサン)を営んでいました。
お蚕さん、みんな普通に「お」をつけて呼びます。そう絹糸をとるための大事な大事な生活の糧の虫。
お蚕さんの飼育って、とても人手が必要です。「お蚕あげ」って言って、お蚕さんがいよいよ繭をつくるその時、飼育場から母屋の2階に移動させるんですけど、まぁ、そのお蚕あげっていったら親族総手です。
 
お蚕あげがどんな様子かと言いますと
飼育場から一匹一匹手でお蚕を拾い→桶などに入れて、2階にある蚕室(さんしつ)へ移動→回転まぶし(繭をつくる枠)にお蚕さんを散りばめ→天井から吊るす
こんな具合です(笑)すべて、人力。昭和50年代の話。
お蚕を拾ったり、2階にある蚕室まで持ち上げる(つるべ式で、滑車の紐をクルクル手繰って持ち上げました)作業は子どもでもできるので、私もよくお手伝いしました。
 
お蚕以外にも親戚が集まる機会がたくさんあって、いとこもたくさんいて、縁側や庭を駆け回ってワイワイしながら育ちました。
 
ついでに、もっと小さいころ(2~3歳)には、おばあちゃんちには豚がいて、豚の赤ちゃんをながめるための台が一個しかなく、毎日いとこと取り合いするもんだから見かねた隣のおじさんがリンゴ箱(木製)をもってきてくれたとか、縁日で買ったひよこ(もはや、縁日にヒヨコが売ってたなんて知らないでしょう・・・)が昼寝している間にネコに食べられちゃったとか、おばあちゃんを困らせたほのぼの話がたくさんあるわけですが、
 
大勢で食べるご飯だったり、
にぎやかな台所だったり、
わいわい大福を丸めたり、
ゆで上がったうどんをお重につめたり、
子どもながら一緒に参加して、
あんこが飛び出たって、不揃いだったり、崩れたりしたけど、そんなの誰も気にしない。
オールオッケーな世界。
私の思う古民家は、農家の母屋。
だから、もともとこんな風に人が集まる場所なんです。
ワイワイ寄って集まるのが似合います。
 
筒抜けの解放感、野性味のある木の柱や梁、どっしりした重厚感。
そして、穏やかな、懐かしい、安らぎがあります。おばあちゃんちに寄ったみたいなね。
 
だから。
そこで、お袋の味が食べられたらサイコーではないですか?
 
私の作るお惣菜が美味しいのは、大きいお鍋でたくさん作るから。
作り方はいたってシンプルで、調味料の配合も単純明快。
2~3人分作ってもイマイチピンと来ないのは、そういうわけです。
 
本当は、家ごはんを、お母さんの味を、伝承していきたい❗ 応援したい。
 
けど、もう時代は逆戻りできない。
単身者、子どもをもたない選択、いろんな多様性をもった生き方が尊重される時代です。
家族もよりコンパクトに。
 
家庭的なご飯は、「外で食べる」「お金を払って食べる」にシフトするだろうなぁと思っています。
 
もちのろんですが、家でご飯を食べようよ🎵というのが、私の一番の願いで、それを実践できてる方に、このお店は必要ありません。いんです、それで。
 
ちょっと本線からそれましたが、
健康ランチの提供が、どうして古民家じゃないとダメかっていう、私の思いを書いてみました。